現在、テレビ番組のご意見番として活躍するデヴィ夫人ですが、
デヴィ夫人の旦那がインドネシアの
元大統領であったことはご存じでしたでしょうか?
今回はデヴィ夫人がどのようにして、
インドネシアの元大統領と結婚したのかを
徹底追及していきます!
デヴィ夫人とスカルノ元大統領の馴れ初め
19歳の時に「友達と映画を見ようと帝国ホテルの横のレストランで待ち合わせしていた。
そこに統領ご一行がお通りになった。
しばらくしたら、副官の方がもしよろしかったら私達もお茶会をしてますからいらっしゃいませんか」と誘われたという。
「その時は何でもない。2日後にお呼ばれしたんです」と明かし、そこから「文通が始まりました。話すこととか書くことがロマンティスト」と振り返った。
出典元 AIKRU
スカルノ元大統領からは「私の人生の喜びとなってほしい」とプロポーズされたといいます。
「こんな美しい言葉は100歳まで生きても聞くことはできないかもしれない。大統領に尽くせという天啓だ」と結婚を決断したと語ったとのこと。
デヴィ夫人とスカルノ元大統領との結婚生活
出典元 産経ニュース
デヴィ夫人は、スカルノ大統領の第3夫人です。
一夫多妻制により、スカルノ大統領にはデヴィ夫人以外に3人の妻がいました。
そして、デヴィ夫人は最初はスカルノ大統領の愛人でしたが、頭の良さと真面目さが認められ、妻となったと言われています。
大統領という職は激務ですし、夫人が4人もいるとなると、デヴィ夫人とスカルノ大統領は夫婦の時間を持つことがなかなか難しかったかもしれませんね。
政変によりインドネシアを追われるデヴィ夫人
出典元 OROCON NEWS
1965年(昭和40年)9月30日に起きた軍事クーデター、いわゆる9月30日事件でスカルノが失脚、代わってスハルトが大統領となりました。スカルノは軟禁状態におかれ、デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館に亡命を希望しましたが、国際的立場上の理由で断念しました。スカルノの第2夫人を除く夫人は皆、大統領のもとを離れ逃げ切りました。
1967年(昭和42年)3月11日、都内病院にて娘のカリナを出産されます。正式名は「Kartika Sari Dewi Soekarno. Kartika Sari」。スカルノ大統領の8番目の子供でした。デヴィ夫人は政治的に亡命者に寛容なフランスを亡命先に選びます。スカルノ元大統領存命中にもかかわらず数回の婚約発表が取りざたされましたが、結局再婚はしませんでした。
まとめ
いかがだったでしょうか?
プロポーズの言葉はすごく印象的でしたね。
現在80歳を超えてますます元気に
活躍されるデヴィ夫人について
今後も注視していきます。
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